日常にもスライムがいる
もう一年くらい前のことで、
わたしは自転車で細い住宅街の中で帰路についていた。
すこし先の丁字路で車が3台くらい詰まっているのが見えて、
タイミング悪かったなあ、とわたしは自転車を道の端に停めて車が通るのを待ったんだよね。
こちらから直進する3台が通り過ぎると、左手の角から少し大きめのファミリーカーが、右折ウインカーを出しながら顔をのぞかせてた。
先に出ておいでーと、わたしは停まったままその車が角からでてくるのを待った。
その車はもじもじしながら狭い道を右折してきて、自転車に跨ったまま停まっているわたしに通り過ぎざま、
すみませーん!ありがとうございまーす!
って、はっきり窓をあけて声をかけてきた。
それがとても衝撃だった。
え?と思ったときにはもうその車は走り去っていて、わたしは自転車こぎながら思ったわけです。
なんだこの清涼感は、と。
寝起きにカーテンを開けたようなまぶしさ。
そして今、思い返して考えているんだけど
あのとき、どうしてあんなに強烈な感動を覚えたのか。
正直いうと、道を譲ったのは親切心からではなかった。
いやあの車、なかなか出てこれなくてなんかかわいそうだな、ぐらいは思ったけど。
親切心からというより、先に行ってもらった方がスムーズで自然だと思ったから。
赤信号と青信号は交互に点灯しないと、交通の効率がわるいじゃないですか。
それにあのドライバーも、別にそこまで本気の感謝の意はなかっただろう。
あざっすみたいな、会釈ペコリな表現を体育会系の大人がしたらこうなっただけで、
それを陰の女がおおげさに受け取ってしまって、驚いている。それだけ。
うんそれだけ。
なのに、どうしてこんなに忘れられないのか。
うーん。
少し似ている感覚があって、
こどものころ、イヤホンでゴマキの愛のばかやろう聞きながら口ずさんでたらいつのまにかゴマキスイッチ入って熱唱しちゃってて、そばにいた家族に笑われたことがあって、
シンプルに恥ずかしいという気持ちと、
ひとりの世界だと思っていたら、あっ人がいた、みたいな。
はっとする感じ。
あなたいたの?みたいな?
いや逆だ。あなたわたしのこと見えるの?みたいな。
この感覚って他者の存在が気付かせてくれるもので、ひとりじゃ再現できない。
人とのつながりってめんどくさいけど、急に発見があったりする。
ドラクエみたいに、コツコツ経験値ためて1レベルが上がったと思ったら、メタスラ狩りで一気に爆上がりすることもある。
何言ってんのって感じだけど、なにかわたしがやりたいことのヒントになりそうなんだよね。
完全に分析はできそうにないし、言語化もきっと難しいと思う。
でもたまに思い出してさ、道を譲られたときは、わたし、声だしてお礼言うぞって思う。
一日声出さない日とかざらにある人間だけど、言っちゃうもんね。
レベルアップしましょうか、わたし。
ここでは勇者だし。