わがまま言わずにちゃんとやれ

リユース市場が少し前から熱いらしい。
まだ使えるけど不要なものを捨てるのではなく売る・譲るってやつです。
ゴミの削減にもなるし、お小遣い稼ぎにもなる。
まずこのビジネスモデルを構築した人超すごい。
悪用する利用者のせいで転売や詐欺みたいなのが湧いてしまったのは、本当に残念。
まあそれは今は置いておいてね、本当にすごい。

と本気で思っているんだけど、わたしはメルカリ使ったことないです。
メルペイ?とか、なんかお得ってきいてもさ、ウーン、男は黙って楽天ペイ!ってね、私の中のクールポコが杵振りおろしてるわけでね。
わたしのiPhoneはあの赤い箱みたいなアプリアイコンに近付いたことないの。メルカリ処女なの。

なんかさ、人のリユース品って、ほしいと思わないんですね。
まじでお金ない学生時代はリサイクルショップで服とか靴とか買ってたんだけど。
大人になってからは新品しか買わなくなったな。
買うというか、貰うのも抵抗がある。
使わなくなった○○があるんだけど勇者ちゃんいらない?こういうの好きじゃなかった?みたいなことを善意で言ってもらっても、
あーまあ…大丈夫っす、って拒否っちゃう。
よくないっていうのはわかるんだけど。人の善意を蔑ろにすなよって。それはもう誠にごめんなさい。
でもさ、まあここまではわりと共感してくれる人もいると思う。
貰いものって捨てづらいし、あげるって言われてもらっても困ることあるし、
あげるっていうけどそれゴミ押し付けてない?みたいな、それはまああるよね。

じゃあ次、いらないものを売るのはどうなのって。
これも学生時代はマンガとかゲームをゲオみたいなとこで売ったことある。
でも大人になってからはこれもないし、なんか抵抗ある。
時代に逆行する奇人ムーブかもしれないけど、売るより捨てたい。
奇人というか悪人まである。

リユース自体はすばらしいことだと思っているのになんでわたしはアンチサステナブル活動をしてしまうのかと考えたんですね。
そしてたどり着いたのが、物への愛着が強すぎるのでは、という仮説。
それだと、なかなか物を捨てられないんじゃね?と思うじゃん。
それがひねくれたことに、大事に所持し続けるのではなく、買って、大事に使って、捨てるまでが主としての責任だと思っているふしがある。
なんていうか、ペットの終生飼養義務みたいな。
愛があるから最後を見届けたいみたいな。
なんであれ、自分が愛着をもって使ったものを他人に譲る、さらにお金に換えるとなるとさ、
物への裏切りみたいな、いいやつだったのにはした金で売ったのか、みたいな罪悪感がある。
ならいっそこの手でこいつの物語を終わらせようって。こわい。思想歪みすぎ。

そうなると逆に、人の物を受け付けないのは、あまり愛着を感じないからなのかもしれない。
新品のものは、あなたに選ばれるために生まれてきましたよろしくお願いします、みたいな顔して並んでる。
リユースはそうじゃない。
まだいけるのでお願いします。あなたでもいいしあなたじゃなくてもいいです。みたいな顔してる。
わたしにもっと慈悲の気持ちがあれば、リユースも新品と変わらず接することができるのかもしれない。
でもわたしはわたしのために生まれてきた子のほうがかわいく見えてしまう。
わたしはどんだけ傲慢で思い上がった大人になったんだ情けない。

まあ普通に、物は人間でもペットでもないんだから、人の手を渡り歩くことは別に普通のことなんだし
リデュースリユースリサイクルの3Rは当然やったほうがいい。
物の終わりを最後まで見届けたいっても焼却炉まで見に行くわけでもないだろ。
お店に並んでいるものはわたしのために生まれてきたわけではないだろ。
最初から最後までずっとおかしなことを言っている。
こういう自分本位に言い逃れする人間が社会の足をひっぱるんだと反省しました。
捨てるより譲る方がいいに決まってる。すみませんでした。

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