だからわたしはXを見ないようにしている
わたしはSNSほとんど見ないんだけど、
昨日ブログ更新をXにポストしたときにたまたま目に入ったのがあって、
“嫌いなひとのことは死んだとおもえばいい。見かけても幽霊とおもって無視すればいい。”
みたいなことがね、ライフハックのようにオススメされて、
いいアイデアですね!今度からそうします!草!みたいなリプライがたくさんついてるのを見て、
なんか悲しくなっちゃった。
ジョークとして言っているだけかもしれないけど。
無視するといっても、フルシカトではなくて 放っておく ぐらいのニュアンスなのかもしれないけど。
なんにしても、そうした静かな排除から、無敵の人が生まれるんだと思う。
ある日ぷつんって孤独の糸が切れて、怪物になってしまう。
無敵の人が起こす騒動は、加害者自身の問題だけではなく社会の問題でもあるんだよ。
当たり前だけど、犯罪者を擁護する思いは1ミリもない。
どんなに同情の余地があったとしても、
罪が軽くなることはないし決して許されてはいけないと思ってる。
でも、人を裁いて償わせるだけじゃ、第二、第三の怪物を止めることはできない。
ましてや一般人が加害者や加害者の身内を叩いたり攻撃してもなにひとつ変わらない。
わたしたちが見なければいけないのは、加害者でも被害者でもなく自らの排他性でしょ。
少し前に排除ベンチって話題になったよね。
ホームレスが寝れないように、ベンチに仕切りをつけたり変な形にするやつ。
ベンチ以外にも、ホームレスが居着きそうなところに謎のクソデカオブジェを置くとかさ。
わたしたちはホームレスを追放するんじゃなくてホームレスを生み出さないことが課題なのに、
本質から乖離しているよねって話。
無敵の人はこうやって生まれるんだろう。
多数のニーズや心ばかり優先されて、あなたは邪魔だと締め出されて居場所がなくなって、
社会の輪にいれば当たり前にできる思考ができなくなる。
人間は孤独に耐えることができない。
だから信じられないほど幼稚な理由で凶行に走ってしまう。
嫌いだろうがなんだろうが、目に見えている人が幽霊なわけないだろ。
自分の心を守るためだといって他者を排除して、怪物のタネを蒔いていることに気付いてほしい。
嫌いなひととの付き合い方、わたしはね
なんでこいつはこんなイヤな言い方するんだろう、とか
なんでそんな意地悪なことをするんだろう、とか
とにかく考えてみる。
自分とこいつの関わりは一旦置いておいて、こいつ単体を俯瞰で観察する、みたいな。
たとえば都合の悪いことには嘘ばかりつく人が身近にいたとして、
こいつは怒られることがイヤなんだろう、
自分のせいじゃないと思いたいんだろう、
人から責められて傷ついた経験があるんだろう、
自分の嘘はバレないと思っているんだろう、
嘘で自分を守っているんだろう、
そうやって生きてきたんだろう、 って。
そんなこと考えてたら、嫌いっていう感情よりも、
こいつはこういう人間なんだ、って受け入れられるようになる。
逆に、わたしあいつに嫌われてるなーって思うときは
めっちゃシンプルに、「嫉妬乙」って思うようにしてる。
オススメ。