字を褒められるのうれしいよね

かなり昔にどこかで聞いたか見たかした言葉なんだけど、
“言葉遣いと直筆はお金をかけずにできるオシャレ”って考え方がすごく好き。
綺麗な話し方と綺麗な文字を巧みに使いこなすひとって、とても素敵だよね。だいすき。

特に字は、昔から人の書いた文字を見るのがすきでさ。
好みの字をを見つけたら観察して書き方をマネしたりした。
なんなら今でもする。
人の手書き文字をみるとオタクの血が騒ぐ。
ヤクルトスワローズの応援グッズに、
支配下登録の全選手(たぶん)が自分の名前を自筆したデザインのタオルがあるんだけど
ヤクルトファンじゃないのにめちゃくちゃ全部見た。超楽しい。

遊びに出かけたときに自分へのお土産でボールペンをよく買う。
会社でボールペンを取り出すたびに、買った日の思い出を少しだけ覗いて幸せになれる。
ユニバで買ったボールペンも、
2023年阪神タイガース優勝記念グッズのボールペンも、
友達とショッピングで立ち寄ったロフトで見かけたカッコいいボールペンも、
どれを取っても幸せなきもちになれる。
だから大事に使うために、大事に字を書くようになったかも。

でさ、ボールペンってインクがなくなったら買い替えるじゃん?
この有限感もまた好きなんだけどさ、
シャーペンってまじで無限だよね。
高校生のときに使ってたクルトガが全然現役だもん。
いや、大人になって買ったカッコいいクルトガもデスクに入れてるんだけど、
なぜか手に取ってしまうのはいつも昔のクルトガなんだよね。
色褪せたキキララの、いかにも平成女子高生ってかんじの。
なんでか手放せないんだよね。
べつにこれは思い出深いってわけでもないんだけど。
ボールペンみたいに、幸せなきもちになれるってこと全然ないんだけど。
高校生のときとか特にいい思い出ないし。
むしろこのシャーペンは、わたしの字がド汚かったころも、赤点ばっかりとった定期考査も
補習で何度もなんたら方程式を書き写しさせられたような負の記憶を思い返させてくれる。
そういう昔の劣等感もわたしの何かに必要なんだろう。
本当に忘れたいならきっとわたしはこのシャーペンをとっくに捨ててるし。
新しいカッコいいシャーペンで書くよりも、このボロくてダサいシャーペンで書く方が
今もなんかしっくりくるんだろうな。

新しいボールペンでも古いシャーペンでも、きれいな字を書けるようになりたいね。

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