不自然に生きることはきっと間違いじゃない
大阪・関西万博やってますね。
旅行が苦手で、海外に行くことがない私にとって
異国文化に触れるまたとないチャンス。
開催中に3回ぐらい行きたいなと思ってたりするんだけど、
なんか、テクノロジーがすごいらしいですね。
未来が現実になってるらしい。
行くのが楽しみ。
医療技術の進歩を感じると、
私みたいな独り者は、人間の長生きはもういいからペットの長生きのほうが進歩してほしいなんて思ってしまう。
私も愛するポメラニアンと同じスピードで年をとりたい。
あくまで個人的な意見です。
今少子化がああだこうだ言われてるけど、人間も技術で作ることができるようになるんかな。
遺伝子さえあれば。
まあ、法的・倫理的に人間のクローン誕生は実現していないけど、
哺乳類のクローンはすでに成功しているんだよね。
羊、猫、犬、サルまで成功してる。
犬はクローンのクローンまで生まれてる。
もう技術的には人間のクローンも作ることができるのかもしれない。
いずれは母体すら必要としない生命の生まれ方ができるのかもしれない。
まあさすがに少子化対策でクローンにんげんを量産するゾ!は
極めてヤバいアイデアというか、
そもそも少子化問題の根本からズレてるしって感じなんだけど
やっぱり人間の生命は人間にコントロールされるべきではないっていうのが倫理なんだよね。
じゃあどうやって決まるのか。
自分の意思?それとも自然?
少なくとも生まれるときに本人に意思はない。
父母の意思といえるし、いえないかもしれない。
自然に近いのかもしれない。
じゃあ死ぬときは?
自分の意思で選択されたケースもあるけれど、自然なものであるべきとされてるね。
いくら技術で死から抵抗しても、逃れることはできないし。
始まりと終わりは自然のはずなのに
生きてる間は自然でいられない。
ほかの大型動物に比べて非力な人間は
名前も知らない先人たちが作りあげた社会の檻に自ら踏み入れて
誰かが作った物質たちに囲まれて
どこかで耳にした幸福の条件に夢見て
取り繕ったり、隠したり、飾ったり、
不自然に生きることで今日まで生き残ってきた。
そんな人間が自然と対話しようとしたり
「人間らしさ」を問いかけたり
檻の中で線を引いたりケンカしたりして
なんかカワイイ生き物だよねって
私も檻の中から思うことにした。