空気を読むより自分を読んでいけ

生意気ってなんだ。
なんですかね。
新入社員が先輩社員にダメ出しするとか
高校生が人生を語るとか
そんなシチュエーションが思い浮かぶけど、
それの何が悪いんだろう。

基本的な意味は、年齢や立場に相応しくないような、自信たっぷりな態度や言動をすること。
意味を考えても、これがネガティブな意味として使われることは腑に落ちない。
わたしはきっとどこかで、相応しい・相応しくないの定義を嫌っている。
他者や世間が勝手に謙虚さを期待することは、下にいる人間をカワイイお人形さんにさせる。
仕事で求人に関わることがあるけど、現場のマネージャーに求める人材の要件をヒアリングすると
“素直な頑張り屋さん”がいいらしい。
生意気さんは歓迎されない。
自信満々じゃだめなのか。
同調しなければいけないのか。
本当は上の人間が支配欲を満たしたいだけじゃないのって。

素直なことも、頑張り屋さんなこともとてもすばらしいことだと思う。
聞いたことをそのまま受け止め、再現しようとする能力は誰にでもあるわけじゃない。
すばらしきマニュアル人間。
きっと学業でも良い成績を修めてきたんだろう。
きっと人間関係も良好なものを築けるだろう。

生意気とささやかれることを恐れて、
なにも言えなくなることはもったいないと思う。
未熟さゆえに思考や言葉を誤ることもあるだろうけど、いいじゃない。
間違えずに生きるなんて無理なんだから堂々とミスればいい。
間違ってるよと指摘されたら、また考え直せばいい。
世間が生意気を排除したがるのは怠慢だろう。

数年前、スウェーデンの若き環境活動家 グレタ・トゥーンベリさんのスピーチが話題になった。
彼女は15歳のとき、ひとりでスウェーデン議会の前に座り込み、政府へ気候変動対策を訴え続けた。
そんな彼女を、生意気だと批判する人もいる。
彼女の主張は極端で、必ずしも正しいとは言えないかもしれないけど、必ずしも間違いでもない。
批判もある一方で、彼女の言葉や行動を称賛する人も確かにいる。
私も彼女の言動には勇気づけられた。

現代は社会の道を一度外れると再起不能に陥りやすい。
失敗した者をなかなか認めようとしない。
生意気言っていこうよ。
間違っちゃっても許していこうよ。
せっかく大きい脳みそ持ってんだからさ、
考えて、主張して、考え直して、また主張して、
社会や世間の歪みを見直していけたらいいよね。
生きづらいなんて、大人も子どもも思いたくないよ。

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